とあるPodcastを聴いた。
クロード・レヴィ=ストロースの構造主義について、わかりやすかったので忘備録として抜粋を残しておこうと思う。
人は正しいか、正しくないかでものを見がち
これがレヴィ=ストロースが批判した西洋中心主義的なものの見方
あるいは正しいか、正しくないかで考えようとする思考のフレームは、自文化中心主義的な考え方(ものの見方)
正しい進み方をしている歴史、これが自分たちが発展してきた歴史で、そのように進んでいない歴史を持つ民族は劣っているとする考え方
そこには特権性が生じている
サルトル(あるいはヘーゲル)は弁証法的に、理性によって発展していく歴史が正しいとし、そこに自らを投げ出すことができる人間が、正しい人間だと言った
しかし、それはサルトルやヘーゲルがそういう思考のフレームを持っているからそう思うよね、とレヴィ=ストロースは言った
正しいか、正しくないかというのは
その思考のフレームを持った1つの民族、1つの文化の内部には存在するが、真に客観的世界には存在しない
それぞれの考え方が生まれる土壌のようなものがあって、それは我々の最も基本的な考え方である対立構造を作り出して、カテゴリを作るという思考のフレームによって行われている
本来、根本的にはフラットで相対的なもの
つまり、正しいも正しくないも、それを規定する思考のフレーム次第
構造主義は意味や本質を与えてはくれない
世界を説明はしてくれるけれど、理由を与えてはくれない
自らの生に、自ら意味を与える。こと が 物語?(ここは自分の意見)
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